同窓会新聞「ひらの」41号 世界で活躍する同窓生(57期 藤江 扶紀さん)記事の修正について

標記の件につきまして、「ひらの」を発行する際に、校正の段階で記事の後半部分が欠けていることに気づかないまま発行してしまいました。記事を提供いただきました57期生の藤江扶紀さんにとって、大変失礼なことになり申し訳ございませんでした。

つきましては、藤江さんよりご提供いただいておりました続きの記事について、ホームページに公開させていただきます。以下、テキストを掲載します。また、PDF版もアップロードしておりますので、ぜひご一読いただければ幸いです。

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自己紹介とヴァイオリンを弾くようになったいきさつ

はじめまして、こんにちは。附中57期の藤江扶紀です。

職業は、音楽家、ヴァイオリンを弾いています。

私が最初にヴァイオリンに触れたのは、遡ること30年近く前のことになります。

4歳になる頃に、幼稚園の友達のお母様から「あるお宅にヴァイオリンの先生を呼んでレッスンするので見学に来ませんか」とお誘いのお電話。我が家は元々、両親が音楽好き、父は大の音響マニアで、母はグランドピアノを持って嫁いできたらしく、私が生まれたときから自宅に防音室がありました。母はピアノにあまり興味を示さなかった姉と私をそのヴァイオリン教室へ連れて行き、そこから私の音楽人生がなんとなく始まりました。

その後、7歳の時に、その後の音楽人生に欠かせない運命的な出会いをすることになります。神尾真由子さん(チャイコフスキー国際音楽コンクールの覇者)など後に世界で活躍するような方を教えている先生の公開レッスンを受ける機会に恵まれました。そのレッスンが衝撃的で母は目から鱗がポロポロ、、膝をつき、子どもの目の高さに合わせて色々な音色を聴かせてくださるレッスンに、すっかり魅了されてしまった(そうな)のです。

私はというと、その時は緊張していたのか、帰り道に買ってもらう約束だったポケットピカチュウの印象が強く、、すみません。でも、純粋に、ヴァイオリンってこんなにいろんな音が出せるんだ〜!と子どもなりに驚いたのを覚えています。

その後、門下入りできることになり、以前にも増して練習に力が入るようになりました。それから5年後に、全日本学生音楽コンクールの小学校の部で全国一位を獲るまで、毎回のレッスンが楽しみで仕方がなかったように記憶しています。レッスンで弾いてくださる先生の音は多彩で、まるで宝石箱のよう。20年経っても未だに鮮明に耳に残っています。そして、この時期には、私は音楽家として生きていくことを決めていたように思います。東京の大学に出るまで、みっちりと鍛えていただきました。

クラシック音楽の演奏家は、作曲家が遺した楽譜に沿って音楽を作っていきますが、その過程で、大人になればなるほど ”音色やリズム感の引き出しが多い’’ ということが助けになってきます。

引き出しが多いことで、寛容性が生まれ、いろんな音楽を受け入れることができます。そうしてまた新しい引き出しを作ることができます。

小学生、中学生のような多感な時期に習っていた先生からの影響は計り知れません。毎回のレッスンは、先生の宝石箱からひとつずつ宝石を頂くような感覚だったかもしれないと今になって思います。

また、17歳の頃からついた先生のもとでは、演奏時の姿勢のことなどを勉強するようになり、自分のからだのことを知り、そのため基礎からまたやり直したりもしましたが、それも自分にとっては必要なことだったと思っています。

チェコ公演の様子が日本で放映されていたそうです(友人から送られてきました)

カルテットでのポートレート撮影

フランスでの生活

さて、今は、フランスの南西部、スペインに程近いトゥールーズという街の、トゥールーズキャピトル国立管弦楽団に勤めています。

本拠地であるホールの外壁には・・・!

同僚との室内楽演奏会後

フランスでの生活をはじめて早10年になります。2013年、東京の大学を卒業後、パリの大学院へ留学しました。パリに着いてすぐ、ヴァイオリンの個人レッスンを週に1度受けながら、家探しとフランス語学校探しに明け暮れる日々が始まりましたが、不動産屋では「フランスの銀行口座が必要」、銀行に行くと「住所が必要」、携帯会社の手続きにも「住所が必要」と言われ途方に暮れたのを思い出します。それでも、在仏何十年、という知り合いの方に助けてもらいながら、なんとか不動産屋さんを説得してアパートを借りられることになりました。そこは、パリ15区のターミナル駅、モンパルナスからすぐのところにあり、ちょっと天井が斜めになっている屋根裏部屋で、小さな丸い窓からエッフェル塔が見えるパリのアパルトマンという言葉にぴったりの、映画に出てきそうなお部屋でした。家具を揃えるのにも一苦労、ベッドを組み立てるのにも一苦労、でしたので、最初の数日は段ボールを敷いて寝ていました。それでも、パリでの生活はとても刺激的で、街を歩くだけでも気持ちがよかったですし、学校とヴァイオリンのレッスンとで充実した毎日を送っていました。

その後しばらくして、落ち着いた頃にホームシックが襲ってきましたが、幸いにも年に数回帰ることができていたので、日本での演奏のお仕事とパリでの学生生活との間で自分のなかでうまくバランスを見つけられていた気がします。

この国へ来て、今まで、いろいろなトラブルにも巻き込まれましたが、フランスが、交渉次第で多くのNOがYESに変えられる国だということに気がついたのは、何年も経ってからのことでした。何も言わなければ、当たり前ですが何も変わりません。こちらの国では、何かあれば人々は必ず意思表示をし、行動を起こします。そして、その結果、何かしらが変わります。もちろん一概に全てとは言えませんが、自分がちっぽけな人間だと思っていても、行動に出ることがこんなに大切なことだと気がつけたのは、この国に来てよかったと思えることです。

 

演奏旅行

ある年のお正月、サウジアラビアのタンドラの冬、というフェスティバルの一貫でオーケストラが招待されていたのですが、空港での厳しい審査を終え、バスでホールに着くと、そこはなんと砂漠のど真ん中。「ホールはどこ、、?」とバスの中からみんなで首を傾げる不思議な光景。説明を受けて目を凝らして見ると、砂漠のど真ん中に全面鏡張りの建物があり、そこが新しくできたホールとのこと。その時にはまだ完成していない部分もあり、まだ工事車両があるような状態でしたが、その周りには砂と岩と空しかないので、近くに行っても、周りと一体化して見えないくらいの見事なデザインでした。(写真参照、わかりますでしょうか?よくよく見てくださいね)

そしてそこから砂漠を歩いて数分のところに、ずらりとプレハブのような箱が並んでいました。

冬であっても日中は想像通りの乾燥具合と灼熱、しかし夜になるとさすがに寒く、暖房をつけるとガタガタというものすごい轟音と共に部屋ごと揺れるようなお部屋でした。翌日、リハーサルの時間になってもなんだか団員が少ない、、聞けば、同僚の中でガストロ(フランスで有名な胃腸炎)が大流行しているらしいのです。どうやら危ないと言われていた水道水を飲んだようです。薬を飲んで本番には間に合っていましたが、ドキドキしてしまいました。かく言う私は、警戒心が強いので、歯を磨くにもペットボトルのお水を使っていたので無事でしたが、こんなこともあるのだなぁと経験になりました。

また、他にも、大きな遠征としては、日本やアメリカ、ヨーロッパツアーなどもあります。先週、スイスのモントルーにて公演がありました。今回は、かの有名なチャイコフスキーがヴァイオリン協奏曲を作曲した場所から数百メートル、ストラヴィンスキーが春の祭典を作曲した場所もすぐ近く、というところに後に建てられたホールで演奏し、こんな風に、昔の大作曲家たちが私の大好きな作品たちを創作した国や地域に行き、現地の空気を肌で感じられるのもこの仕事の楽しみのひとつです。

ちなみに、スイスのレストランでお水を頼むとなんと9スイスフラン(日本円にすると1400円)。その後、モロッコに行く機会があったのですが、こちらもレストランにて、お水は10ディルハム(130円)、メインディッシュにいただくタジン鍋が25ディルハム(340円)。物価も文化も人々も様々、非常に興味深いです。

来月にはコルマール、アムステルダム、夏休み明けにはブカレスト公演が待ち受けています。次の日本公演は2026年の予定です。

 

トゥールーズのこと

トゥールーズは気候、立地がとても良いところです。車で30分でも街の外へ出れば、のどかな田舎の景色が広がります。一面に広がるなだらかな丘、青い空、南仏の太陽、そこらじゅうに牛や馬がいたりします。空気はいつもカラッとしていて、お天気の良い日が多く、食べ物はおいしい。こんな気候だからか、街の人や同僚たちもみんな陽気で明るい人が多い印象を受けています。また、車に2時間乗れば、地中海にも、スペインとの国境にまたがるピレネー山脈にも、すぐに行くことができます。3時間乗れば、美食で有名なバスク地方。休日のアクティビティを探すにはもってこいの立地です。エアバスの本社があるので航空業界では有名かもしれません。飛行機がお好きな方には、こちらの写真をご紹介しましょう。飛行機の部品などを運ぶ専用機材のベルーガです。顔がついていてかわいい!なかなか他では見られない希少なものなので、トゥールーズで見る度に嬉しくなります。

最後までお読みいただきありがとうございました。寄稿依頼を受けたとき、若干不安でしたが、自分の過去を振り返る良い機会になりました。

みなさまのご多幸をお祈り申し上げます。

PS.  そういえば中学校のときは吹奏楽部でテナーサックスを吹いていて、自分の楽器を使っていたのですが、卒業時にそのまま無断で置いてきてしまいました。。中学校の楽器庫の端っこで眠っているかもしれません、、もし誰も吹いていなかったら、戻ってきてほしいナ…

57期 藤江 扶紀